阪神・淡路大震災より、15年を迎えました。
まず、亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
実は僕がマイネット・ジャパンで働くことを決意したきっかけの一つが、
この震災と深くかかわっているのです。今回はその話をしてみようかと。
震災時、僕は高校1年生であり大阪にいました。地元は震度5。
高校の先輩が「この震災で神戸大学の志願者が減るから受かりやすくなるかもね」
なんて、あまり笑えない冗談を口にしていたことが印象に残っています。
(このときは、まさか自分が2年後に神戸大にいくことになるとは思ってもいなかった)
そう、上記のように、この時期は受験シーズンの真っ最中だったのです。
おそらく、中学3年生、高校3年生たちの動揺と混乱は相当なものだったでしょう。
そんな神戸の街で、「とある企画」が持ち上がります。
勉強もままならない受験生のために、無料で受講できる塾を立ち上げようじゃないか、と。
企画したのは、神戸で教育関係のバイトをしていた大学生。
市内のレストランや喫茶店を間借りできるようお店と交渉し、
授業を担当してくれるボランティアの教師たちを懸命に確保し、
震災直後の神戸で必死に動き、そのうえで受験生からはお金をとらない。
もちろん話題となり、新聞記事にも「無料塾」として紹介されました。
僕がこの無料塾の件を知ったのは、大学入学後に同所でバイトをやることになったから。
オフィスに保管されていた、当時の新聞記事をみたのです。
はたして同じ時、同じ場所に自分がいたときに、同じようなことを考え、実行ができたか。
、、、たぶん、無理だったろう。
また、同時にこの無料塾の「戦略としての鋭さ」にも驚愕しました。
話題を集め、好感度が高まったこの教育関係の会社(の神戸支店)は、
その後とんでもない量の申込問合を獲得するにいたるのです。
社会貢献と利潤追求の両方の達成を、大学生のアルバイトが考えやりきった。
「うわあ、すごいなあ、、、この当時の運営スタッフは」
新聞にでかでかと掲載されていた、企画発案者の写真を見てそう感じました。
その写真の人物こそ、上原仁。
当時、神戸大学の2年生だった、うちの社長なのです。
つまり、社長とは大学も一緒、バイト先も一緒ということになるのですが、
直接の接点はありませんでした。在籍時期がずれていたので。
しかし、このように学生時代から頭角をあらわしていたため、何かにつけて噂話は耳に入ってきました。
そして紆余曲折あり、マイネット・ジャパンの入社面接を受けることに。
あの無料塾の実行者が立ち上げた会社なら、働く価値は高いだろう、と。
(上から目線に聞こえますが、そんなことはありません)
で、今に至る。
起きてしまった震災自体はどうすることもできません。
しかし、その現状でも必死に動いた人たちがいて、そのうちの小さな動きの一つが
今僕がここにいる理由の一端を担っています。不思議なもんです。
現在、当時の社長にすら勝てているのか怪しい状態ですが、
日々勉強させていただいている、尊敬できる人物だと思います。
(=゚ω゚)ノ 酔ってるとき以外ね!

