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偶然が絶対化する、ということ


「鎌倉と東京湾以外は見たことないから、知らない」
と私は言った。
「エー!
じゃあ、昔はずうっと鎌倉の花火しか知らなかったってことじゃないですか。鎌倉しか知らないのに、『鎌倉が日本一だ』とか何とか言ってたんですかア」
「当然」
と私が言うと、「そういう人じゃないか」と浩介が言った。
「そうじゃなかったら、横浜ベイスターズなんか応援するわけないじゃないか。この人は何でもかんでも自分がたまたま知っていることが一番なんだよ」
「愛するっていうのはそういうことだ」と私は言った。「愛っていうのは、比較検討して選び出すものじゃなくて、偶然が絶対化することなんだよ。誰だって、親から偶然生まれてきて、その親を一番と思うようになっているんだから、それが一番正しい愛のあり方なんだよ」



愛とは偶然が絶対化すること。始めてこの箇所を読んだときにとてもはっとさせられたのを覚えています。

保坂和志の作品は、ゆるい日常を徒然と描く一方でのこうした世界に対する思索の掘り下げが、だらだらとした長い1文の文章と相まってとても心地が良いものになっているのが魅力的だと思っています。そのある意味で対極に位置する両側面-ゆるい日常と思索の掘り下げ-を絶妙なバランスで融合させ、またそれらの器としてのあの長い文章が、描いている何気ない日々のだらだらさと思考というもののだらだらさを巧く表現し吸収しているようで、小説的にもとても魅力あるものになっていると思います。読んでいて流れの中にすっぽりとハマったときには、主人公(とその周りの人物たち)の思考の流れに乗っかっているような感覚になっている気がします。この感じはけっこう独特のものなんじゃないかと。
思索の対象としては、この作品だけでも記憶の在り方や場所の記憶、知覚、などなど"認識"的なことを中心に多岐に及んでいて、また小説以外でも思考の在り方を模索するような本もいくつか出しているなど、独特のスタンスでとても興味深い作家です。


最初の引用に戻って、ぼくはこの箇所を最初に読んだときに妙に納得させられてしまいました。
男女の"愛"について世の中に目をやれば、絶対的な"運命"とやらで"一億人の中からお互いを見つけ出した〜"なんてのはほとんど有り得ない(と思う)ので当たり前なんだけど、その"絶対化してしまう心の在り方"というのを改めて明言され突きつけられたことにがつんときたと言うか。そうなんだよね、と。
...ってまあ、こんなふうに書くとドライな感じで女の子には嫌われちゃいそうですが(笑)、しかしね、それでも偶然が絶対化したものも一億人の中から見つけ出したのと同じくらい、と言うかむしろ後天的である分それ以上に尊いものなんじゃないかと思いますよ、ハイ。ってことで。

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2008年4月20日 09:56に投稿されたエントリのページです。

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